ここでは、株式会社伊勢半の文政8年の創業から現在まで続く伊勢半の歴史についてご説明いたします。
1.紅製造問屋として創業

江戸時代に作られた小町紅
文政8年(1825年)、澤田半右衛門が江戸の町では初めての、紅の製造と卸しを一手に引き受ける紅問屋「伊勢屋半右衛門」(通称:伊勢半)を小舟町に創業しました。
澤田半右衛門は、寛政2年、現在の埼玉県川越市藤間に生まれ、若くして江戸日本橋の紅白粉問屋(炭屋)に奉公しました。
その後、独立し紅づくりに寝食を忘れて没頭し、研鑽を経て独自の工夫と試行をこらした玉虫色に輝く小町紅を開発し江戸一の紅商となりました。
2.伊勢半の変遷
事業はその後、五代目まで引き継がれましたが、五代目が早世したため、再び四代目が店主に就任。その間に時代は激動。伊勢半も少しずつ変化していきました。
3.六代目澤田亀之助の功績
昭和14年(1939年)、六代目・澤田亀之助※が事業を引き継ぎます。
※六代目・澤田亀之助:本名・森龍右衛門。四代目澤田亀之助の甥。昭和3年に澤田家の養子となり、四代目から紅の製造法を直伝される。四代目の永眠後、澤田亀之助を襲名しました。
六代目は、昭和初期の時代の流れを読み取り、中国や満州に向けて紅の輸出を開始。頬紅やマユズミ、白粉などの販売も始めました。さらに、インドや中近東、アメリカへも販路を広げましたが、時代は戦争に突入。昭和20年の東京大空襲では社屋を焼失してしまいました。しかし、六代目はただひとつ焼け残った石原町の石蔵を出発点に再興に取り組み、戦後の高度成長時代に多くのヒット商品を開発し、宣伝力を巧みに活用して今日の「伊勢半グループ」の礎を築きました。
4.ヒット商品の開発と先進的な広告展開で発展
昭和20年(1945年)、六代目は、戦後の物不足の時代にも関わらず、当時としては画期的な植物性油脂や医薬品にも使われたラノリンを配合した「キスミー特殊口紅」を発売。口紅本来の役割である美しい発色に加え、唇の荒れや乾燥を防ぐという新たな効果を加え「唇に栄養を与える口紅」のキャッチフレーズで大ヒット。
「主婦の友」昭和25年8月号裏表紙
全面広告を掲載
昭和25年(1950年)には、雑誌「主婦の友」8月号の裏表紙全面に香水の広告を掲載。業界初の裏表紙全面広告として話題となっただけでなく、表紙と同じように大きくモデルの顔写真を入れた広告は業界にインパクトを与えました。また、欧米ほど香水が定着していなかった日本市場を活性化させ、香水は爆発的なヒットとなりました。
広告展開は雑誌のみならず、新聞、映画プログラムにも展開。昭和27年1月1日付けの毎日新聞朝刊には、業界初の新聞1頁全面を使用したカラー広告を発表。有名な「ローマの休日」ロードショウのパンフレットにも広告を掲載し、注目を集めました。
昭和27年元旦の毎日新聞に
カラー全面広告を掲載
昭和29年公開の
映画「ローマの休日」
プログラム表紙に広告を掲載
昭和29年(1954年)には、”落ちない口紅“「キスミースーパー口紅」を販売。『キッスしても落ちない』という、当時としては大胆な広告コピーが女性たちの心を捉え、製造が追いつかないほどの大ヒットに。
こうして伊勢半は戦後大きく成長。昭和34年(1959年)の本社工場落成式は盛大に行われ、後の内閣総理大臣池田勇人氏からもお祝いの花輪をいただきました。また、翌年には、昭和天皇のご息女、島津貴子さんが工場をご見学されました。その後、株式会社エリザベスや株式会社キスミーコスメチックスをはじめとする「伊勢半グループ」が構築されました。
5.21世紀企業へ〜伊勢半・キスミーコスメチックス合併
2005年3月1日、伊勢半は、株式会社キスミーコスメチックスと合併。新会社 株式会社伊勢半として組織を再編成し、経営体制を整え、新たなる第一歩を踏み出しました。
同年春には新発売したアイメイク商品「ヒロインメイク」が大ヒット。1970年代の少女マンガのヒロインをイメージにしたキャラクターデザインがインパクトを与え、日本最大の口コミコスメサイトでは2005年度ベストコスメ大賞第2位。マスカラ部門では第1位を獲得しました。
ヒロインメイク ロング
&カール マスカラ

2005年3月1日 日経新聞掲載
【株式会社伊勢半ならびにグループの沿革】
| 1945年 |
飯田橋富士見に「澤田半右衛門商店」として再建。
「キスミー特殊口紅」を販売。
|
| 1947年 |
株式会社伊勢半に改組。 |
| 1950年 |
キスミー特殊香水「ヘリオトロープ」販売。 |
| 1954年 |
株式会社エリザベス設立。
”落ちない口紅“キスミー「スーパー口紅」を販売。 |
| 1955年 |
キスミー販売株式会社設立(キスミーコスメチックスの前身)。 |
| 1959年 |
市ヶ谷第一工場を増築し、本社工場とする(五番町本社工場)。 |
| 1961年 |
販売新政策・エフ・ピー・システムを導入。
適正価格の維持を図り、化粧品全アイテムを網羅。 |
| 1965年 |
キスミー販売株式会社を、株式会社キスミーコスメチックスに改称。 |
| 1966年 |
PSP(パーフェクト・セルフ・パッケージ)=台紙付商品を販売。
化粧品をフック付きラックに掛けてセルフ販売するスタイルを、日本で初めて開発し、キスミー製品に導入。 |
| 1968年 |
マーシュ・フィールド株式会社設立。 |
| 1970年 |
濡れたように輝く口紅「シャインリップ」を販売。日本初の唇のツヤ出し専用口紅として話題となり、その後、新色を含め販売数は世界的にも例を見ない年間1,500万本という驚異的な販売記録を達成。 |
| 1974年 |
キスミー薬用ハンドクリーム発売。
肌に潤いを与える成分と、血行を促進する成分を配合した、画期的なハンドクリーム。発売から30年以上を経た今もなお、人気の超ロングセラー商品に。 |
| 1982年 |
ビー・エル・オーバーシーズ株式会社を設立。 |
| 1988年 |
茨城県水海道市に研究所を開設。 |
| 1989年 |
1989年 キスミーサンシェード発売。
日焼け止め商品の先駆けとして発売。これを機にさらに技術革新は進み、「シーン・目的別に選べる日焼け止め キスミーサンキラーシリーズ」へと発展。 |
| 1998年 |
千代田区四番町に新本社ビル竣工。本社機能を移設。 |
| 2005年 |
伊勢半は、株式会社キスミーコスメチックスを合併。 |
| 2005年 |
「ヒロインメイク」大ヒットシリーズ販売。 |
グループ全体の歴史は、こちらをご覧下さい。